【岡田有希子の両親】父親・母親の知られざる素顔と、娘を失った後の悲しき運命

こんにちは、はたはたです😊

 

昭和のアイドルを調べていると、どうしても目が止まってしまう名前があります。

 

岡田有希子さん。「ポスト松田聖子」とまで称され、わずか18歳で突然この世を去ったアイドル。

 

私が生まれる前の話なのに、なぜか他人事とは思えなくて。

 

自分が母親になってから、余計に「ご両親はどんな気持ちだったんだろう」と考えるようになりました。

 

今回は、岡田有希子さん(本名:佐藤佳代)の両親について、残されたエピソードをもとに掘り下げてみたいと思います。

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はたはた(主婦)

アラサー女。元雑誌編集者としての経験を活かし、現在はバタバタと忙しい日常生活の合間に記事を執筆中。特にドラマ・音楽好きで、日々の気づきを発信中。

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岡田有希子 プロフィール

はたはた(筆者)
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岡田さんの基本プロフィールです。

 

岡田有希子さんの本名は、「佐藤佳代」です。

 

愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ちの次女です。

 

家族構成として、両親、姉がひとりいる4人家族です。

 

岡田有希子 両親 どんな人?

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両親に関して、まとめました。

 

岡田有希子さんの両親に関して、まとめました。

 

父親:佐藤さん

父親は、佐藤姓のエンジニア(技術者)だったようです。

 

名前は、公表されていません。

 

父方の家系には教育者が多く、祖父はとても厳しく保守的な人だったそうです。

 

有希子さんが芸能界入りを希望したとき、祖父から「あんた、どういう教育してる!」と厳しく叱責されたというエピソードが残っています。

 

父親自身は、典型的な「昭和の親父」タイプです。

 

娘の芸能界入りには当初猛反対していましたが、サンミュージックの担当者・福田時雄氏が直接出向いて説得し、条件付きで了承したとされています。

 

ただ、日々の教育については母親に任せきりだったようです。

 

母親:佐藤孝子さん

岡田有希子さんの母は、佐藤孝子さんです。

 

娘の死後に手記をまとめた書籍『岡田有希子 愛をください』(朝日出版社、1988年)を出版しています。

 

幼少期のエピソードや家族の様子が綴られた、親子の絆がひしひしと伝わる一冊です。

 

母が娘に課した「3つの条件」

岡田有希子さんがアイドルを目指したのは、中学2年のときです。

 

オーディション番組「スター誕生!」への応募がきっかけでした。

 

しかし両親は猛反対。

 

父方の家系が教育者の家柄ということもあり、芸能界はもってのほかだったのでしょう。

 

それでも有希子さんは諦めませんでした。

 

部屋に引きこもり、家族とも口をきかず、食事もろくに取らず、無言の意思表示を貫いたといいます。

 

歌手になりたい気持ちを込めて書いた置手紙まで見せられた母・孝子さんは、「そこまで言うなら…」と悩んだ末に、娘に3つの条件を提示しました。

 

その条件とは——

  • ✅「学年内テストで学年1位になること」
  • ✅「中部統一テストで学年5番以内になること」
  • ✅「志望校(名古屋市立向陽高校)に合格すること」

 

どれか一つでも達成できなければ、芸能界入りは認めない。

 

すぐに諦めるだろうと思っていた条件を、有希子さんはなんと全てクリアしてしまいました✨

 

この「思い込んだら一直線」の性格が、彼女の強さであり、のちの悲劇にも影を落としていくのかもしれない——と、私は母親目線でそう感じてしまいます。

 

母の手記が明かした娘の素顔

書籍『愛をください』には、孝子さんによる長文の手記が収録されています。

 

幼い佳代(有希子さん)のエピソードとして、こんな話が語られています。

 

2歳のころ、父親が「日曜日にどこかへ連れて行く」と約束しながら急に取り止めにしたことがありました。

 

すると佳代ちゃんは猛烈に駄々をこね、「ほかの場所でいい」という提案にも断固拒否。

 

父親が怒って残りの家族3人だけで出かけてしまっても——泣かなかったそうです。

 

「そういうときでも、佳代は絶対に泣かない子でした」という孝子さんの言葉が、妙に胸に刺さります。

 

強い子どもだったんですよね。

 

感情を内に閉じ込めるタイプの。そういう子が、一番しんどかったりする。親になった今、そう思います。

 

また、孝子さんは手記の中で、娘が残した遺書についても語っています。

 

「峰岸徹さんの名前はたしかに書かれていました」と明かしており、誤った報道に対して「本当のことを伝えたかった」という思いが伝わってきます。

 

娘を失った悲しみの中で、それでも娘の名誉を守ろうとした母親の強さに、読んでいると胸が詰まります。

 

 有希子の死後、両親に訪れた悲劇

1986年4月8日、岡田有希子さんは18歳でこの世を去りました。

 

その後、両親にも過酷な運命が待っていました。

 

実は、岡田有希子さんの両親は、有希子さんが20歳になる年に離婚する約束をしていたとされています。

 

有希子さんの死後、約1年後に離婚が成立したと伝えられています。

 

母・孝子さんは、娘のデビュー後から無言電話などの嫌がらせが相次ぎ、持病のぜんそくや胃潰瘍が悪化。

 

入退院を繰り返していたといいます。

 

離婚後も病状は回復せず、娘を追うようにして病院で息を引き取ったとされています。

 

お母さんのご遺骨は、諸事情から佐藤家の墓ではなく、寺が預かっているとのこと。

 

これを知ったとき、私はしばらく言葉が出ませんでした。

 

娘を失い、夫とも別れ、病に侵されながら逝った母親の人生が、あまりにも切なくて。

 

岡田有希子 両親  まとめ

「 岡田有希子 両親 」に関して、

Newsサイト、SNS、独自のデータベースなどを活用して徹底調査しました。  

 
調査結果

  • 岡田有希子 さんの両親情報を調べてみました!
  • 父親は厳格な昭和気質で、芸能界入りに当初反対
  • 母親は娘を支え続け、手記『愛をください』も出版
  • 娘の死後は両親も離婚し、母親は病に苦しむ晩年に

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Posted by lifelog管理人