【美輪明宏の家系図】波乱万丈すぎる家族の歴史と関係性を調査【図解】

美輪明宏
とネットで調べると、
【 美輪明宏 家系図 】と関連ワードに表示され、検索する方が多いようです。

【 美輪明宏 家系図 】がネットで話題となっているようですね!
そこで今回は、以下のポイントについて詳しく調べてみました。
美輪明宏 プロフィール
美輪明宏 さんのプロフィールは以下の通りです。
| 顔写真 | |
|---|---|
![]() | |
| タレント名 | 美輪明宏 |
| 生年月日 | 1935年5月15日 |
| 出身 | 長崎県 長崎市 |
| 職業 | 歌手 |
美輪明宏 家系図 どうなってる?

【写真】美輪明宏さんの家系図

美輪明宏さんの家系図は、複雑でした。
美輪明宏さんの家系を調べて最初に感じたのは、「これほどまでに波乱万丈な家族史があるのか」という驚きでした。
裕福な商家に生まれながら、戦争・被爆・家族の死・貧困
それらをすべて乗り越えて、今の「美輪明宏」がある。
家系図を追うことで、あの独特の美学や世界観がどこから来たのか、少し見えた気がします。
本人の名前の変遷
【写真】美輪明宏 さん@2010年代
美輪明宏さんの基本情報を整理しておきます。
- 本名:丸山明宏(1971年まで芸名=本名)
- 幼名:寺田臣吾 → 養子に出され「丸山明宏」に改姓
- 現在の芸名:美輪明宏(1971年以降に改名)
- 生年月日:1935年5月15日
- 出身地:長崎県長崎市
名前だけでも、三段階の変遷があるんですね🌿
「寺田」から「丸山」への改姓は、母方の実家に男児がいなかったためです。
母の実家の跡継ぎとして、養子に出されたことによるものだそうです。
幼少期から「家のために」という役割を背負っていたんだなと思うと、なんとも切ない気持ちになります。
美輪明宏 家族構成(家族の紹介)
【写真】美輪明宏さんの家族@1937年
美輪明宏さんの家族は、父、実母、継母、5人の子供の計7人家族です。
一人ずつ、みていきましょう。
【実父】寺田作市(丸山作市に改性)
美輪さんの父は、作市です。
長崎市の繁華街、丸山遊郭のそばで「世界」というカフェや料亭、銭湯を経営していた人物です。
当時は、20人近いホステスや女給さんが働く繁盛店でした。
美輪さんはその女性たちに、かわいがられて育ったとのこと💫
父は、もともと神戸に養子に出された経歴を持ち、出自は島原系とも言われています。
戦争が始まると事業が傾き、戦後は金融業に転じますが失敗します。
美輪さんが歌手として成功すると、仕送りを止めた過去があるにもかかわらず金銭を求めてきたというエピソードも……。
美輪さんがよく語る「人間の業(ごう)」の深さを、身をもって体験した身近な相手だったのかもしれません。
【実母】ムメ
【写真】美輪明宏さんの実母ムメさん
美輪さんの実の母(生みの母)は、ムメです。
大阪で看護婦長を務め、中国への従軍経験もあったという、当時としては非常に自立した女性です。
ところが美輪さんがまだ2歳の頃に、他界します。
火事が原因という説もあります。
男児のいなかった母方実家の跡継ぎとして美輪さんが養子に出されたのは、この「母の死後」のことでした。
実のお母さんの記憶がほとんどない中で育った美輪さん。
それでも「母」という存在へのまなざしは、数々の楽曲や語りに深く刻まれています。
【継母たち】輝子さんなど

【写真】 美輪明宏さんの継母(育ての母)輝子さん
美輪さんの父は再婚を繰り返しており、継母(育ての母)が複数いたようです。
写真に写っているのは、継母の輝子さん。
洋裁が得意でハイカラな女性で、連れ子ではある美輪さんと兄をとても可愛がってくれたそう。
しかし、戦時中(本人が9歳の頃)に他界します。
その後は、もう一人の継母もいたようです。
失踪してしまったとも言われており、家族の歴史は複雑です。
【兄弟姉妹】和子さん、安宏さんなど

【写真】姉、兄(左側)父と美輪明宏さん(右側)@1936~37年頃
【写真】美輪明宏さんの家族と兄弟(両親の間にいるのが本人:当時は臣吾)@1940年前後
美輪さんは、5人兄弟の次男です。
姉の、兄、本人、2人の弟がいます。
【同父同母きょうだい】
長女・・和子さん
長男・・晏久さん(改名して安宏さん)
次男・・臣吾さん(改名して明宏さん)
【同父異母きょうだい】
三男・・輝義さん
四男・・和正さん
公開された情報によると、以上です。
父が再婚を繰り返したため、異母きょうだい(異父異母きょうだい)を含めると10人きょうだいになるという情報もありました。
美輪さんは父の事業失敗後、15歳で歌手活動しながら、これらきょうだいの生活も支えていたといいます💪
長崎原爆と家族——10歳の夏に刻まれた

【写真】10歳の頃の美輪明宏さん@1945年
美輪さんの家系図を語るうえで欠かせないのが、1945年の長崎への原爆投下です。
当時10歳だった美輪さんは、母方の実家の近く、つまり爆心地に近いエリアで、その惨状を目の当たりにしました。
生涯にわたって「反戦」を訴え続けているのは、単なる思想ではなく、家族の歴史・肉体的な記憶に根ざしているんだと改めて感じます。
また長崎原爆後・戦後の貧困の中で、継母を亡くします。
幼い異母弟たちを支え、育てる責任を感じたそうです。
「ハーフ疑惑」と家系のルーツ

【写真】若いころの美輪明宏さん
「美輪明宏 家系図」を検索すると、「ハーフ説」がよく出てきます。
美輪さん本人も、あるインタビューで「純粋の日本人とはとても思えないので、西洋人の血が混じっているのでは」と語ったことがあるそうで、そこから噂が広まったようです。
背景として、父の生まれた長崎という土地の国際色があります。
ポルトガル・オランダとの交流の歴史を持ち、母方が天草系(天草も歴史的にキリシタン文化が根付く地域)であるそうです。
そのため、「遠い先祖に西洋人の血が入っているのでは」と言われることがあるようです。
ただ本人は「噂に過ぎない」と否定しており、ハーフやクオーターではないというのが、現状の見解です。
家系図の詳細(祖父母世代以上)は公開されていないため、確認する術はないようですね。
少なくとも、父・母は日本人で、ハーフではありません。
個人的には、ルーツよりも美輪さんが「どんな体験を経て今の美学を持つに至ったか」の方が断然ドラマチックだと感じます😌
美輪明宏 家系図まとめ
「 美輪明宏 家系図 」に関して、
Newsサイト、SNS、独自のデータベースなどを活用して徹底調査しました。
調査結果
- 「美輪明宏」さんの家系図情報を調べてみました!
- 裕福な商家に生まれるも、幼少期に母を亡くし養子として改姓あり
- 父は経営者(カフェ→金融業)で、育ての母は元看護婦長!
- 5人きょいだいの次男で、兄と姉、異母弟が2人いる
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コメント一覧
実の母のムメさんが亡くなったのは、火事ではなく、火事で後遺症を負ったから(美輪さんは2歳)
継母の輝子さんが亡くなったのは、戦争疎開先で3人目の弟を早産後に感染症か何かで(美輪さんは9歳)
幼いころに、2度も母を亡くしていて、早くから達観していました