「 三田佳子 」父親や母親は?両親からどのように育てられた?

三田佳子さんは、昭和を代表する大女優として、輝かしい成功を収めました。

 

その一方で、プライベートでは次男である高橋祐也さんが6回も逮捕されています(2024年時点)。

 

息子さんに苦労している姿が度々報道されます

 

三田さんの子育てに関して世間からは、「大人になった息子を甘やかしすぎ」「仕事を優先にしすぎてお母さん業を疎かにしている」など多くの意見が語られてきました。

 

直接的な原因は、三田さんの子育てにもあると考えられます

 

その背景をより深く知るためには、三田さんの生い立ちや両親から受けた教育などの情報が役に立つかもしれません。

 

そこで今回は、以下のポイントについて詳しく調べてみました。

調査内容

  • 三田佳子さんの生い立ち
  • 三田佳子さんの両親(父親と母親)
  • 【三田佳子さんの父親】
  • 三田佳子さんの受けた教育とその影響




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「 三田佳子 」のプロフィール

「 三田佳子 」さんのプロフィールは以下の通りです。

顔写真
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タレント名 三田佳子
生年月日 1941年10月8日
出身 大阪府 大阪市
職業 女優
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プロフィールトピック

三田佳子は、日本の女優。1941年生まれ、大阪府出身。本名:高橋 嘉子、旧姓:石黒。女子美術大学付属中学校・高等学校卒業。

 

映画・テレビ・舞台・出版等で幅広く活躍し、二度の芸術祭賞、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など賞歴多数。主な出演作に、ドラマ『外科医・有森冴子』シリーズ、映画『極道の妻たち・三代目姐』『遠き落日』、舞台『夢千代日記』『雪国』など。NHKでは、大河ドラマ『いのち』『花の乱』で二度の主演、プレミアムドラマ『すぐ死ぬんだから』ほかに出演。2014年旭日小綬章、2016年NHK放送文化賞受賞。

「三田佳子」生い立ちは?

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【 写真 】中学3年生の頃の三田佳子さん

レオン
レオン
三田佳子さんは、大阪生まれ、東京育ちです。

 

三田佳子さんは、戦前の1941年、父の赴任先である大阪で生まれました。

 

その後父親が出兵するとともに母親の地元である東京に戻りますが、4歳の頃には戦況悪化に伴い山梨に疎開しました。

 

疎開の最中、生まれたばかりの弟は亡くなっています。

 

その後は戦争が終わり、両親とともに暮らしていましたが、8歳の頃に両親が離婚しています。

 

離婚後は母親と一緒に暮らしていて、中学で劇団活動を始め、高校在学中に一部芸能活動を開始。

 

高校卒業後に東映に入社して、女優としての道を本格に歩むこととなります。

「三田佳子」 両親はどんな人?

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レオン
レオン
三田佳子さんの両親は、どちらも一般人です。

父親は一般人

三田佳子さんの父親は、一般人です。

 

職業は会社員でした。母親と折り合いが合わず、三田さんが8歳の時に離婚しています。

 

三田さんは母親と暮らすことになったため、父親とは早くから離れています。

 

父親が松下幸之助はガセネタです

 

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(写真) panasonic 松下幸之助さんとは無関係です

「三田佳子 父親」とネット検索すると、「三田佳子 父親 松下幸之助 」と表示されます。

 

三田さんの父親に関して、情報があまり世に出ないため色々な噂が出ています。

 

Panasonicの創業者で、当時大阪で経済活動していた松下幸之助さんは、認知した婚外子(隠し子)がいたそうで、遺産相続問題が話題となりました。

 

それが「三田佳子さんじゃないか?」と噂されていたみたいです。

 

この噂はガセネタで、2人に親子関係はありません

 

三田さんは父親とは小さい頃に少しだけ一緒に暮らしていて、その後は離婚して遠く離れて暮らしていたようです。

 

本人から父親に関する情報も一切ないため、父親のことをほとんど覚えていないのかもしれません。

母親も一般人

三田佳子さんの母親も一般人です。

 

三田さんが8歳の頃に両親が離婚しますが、その後はすぐに働きに出て、日本橋に小さなお茶漬けのお店を出しました。

 

母親は末っ子のお嬢さま育ちだったものの、女手一つで三田さんを育て上げるたくましい女性でした。

 

そんなお母様は、1997年に80歳で亡くなっています。

「三田佳子」 両親から受けた教育

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【 写真 】三田佳子主演 大河ドラマ いのち

レオン
レオン
両親から受けた教育に関して紹介します。

 

三田佳子さんの教育は、母親の影響が大きいと考えられます。

 

父親と一緒に暮らしていた時期は、戦前・戦後の短い間だけで、あまり記憶にないでしょう。

 

その証拠に、三田さんが家族の事を話すシーンにおいて、多くは母親のことのみです。

 

三田さんの母親は、女で一つで三田さんを育てたたくましい人のようだったようです。

 

シングルマザーでありながら、不自由をしないように一生懸命働いていたようです。

 

三田さんは、たくましい母親の背中をみて、自立して育ったようです。

 

母は離婚にもくじけず、すぐに働きに出て日本橋に小さなお茶漬けのお店を出して、女手ひとつで私を育ててくれました。実家は武士の流れで商売とは無縁の家系。末っ子のお嬢さま育ちだったはずなのに、非常にたくましい人だったんですね。私は学校が終わると電車に乗って母のお店に行って、よく本を読んでいました。お手伝いができなくても、そばにいるだけでほかほかして気持ちが良くて。

母は私に何の苦労もさせませんでしたが、きっと私の見えないところで苦労もあっただろうと思います。母のすごさが分かったのは後になってからです。もしあの母がいなかったら、私の人生どうなっていたことか。母は80歳で逝きましたが、「すごい母だったなぁ」といまだに思います。

引用)https://wendy-net.co

 

息子の教育に与える影響

当時人気女優として多忙な三田さんは、適切なタイミングで母親としての役割を果たすことが出来ませんでした。

 

そのことが負い目となり息子(次男)を甘やかすことに繋がりました。

 

結果、現在まで続く問題に至っていると考えられます。

 

そこに今回調査した件を付け加えると、三田さんはお母さまの背中を見て自立して育ったため、教育の仕方がわからなかったのかもしれません。

 

まとめ

調査結果

  • 三田さんは父親は一般的な会社員で、幼い頃に離婚しています。
  • 三田さんの母親はお茶漬け店を経営し、三田さんを女で一人で育てました。
  • 三田さんの生い立ちには母親の影響が大きく、たくましい母親の背中をみて育ちました。

 

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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Posted by lifelog