「 原哲夫 」右目が失明寸前に!すぐに手術をしなかった理由はなぜ?

「 原哲夫 」

とネットで調べると、

 

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レオン
レオン
【 原哲夫 失明 】がネットで話題となっているようですね!

 

 

そこで今回は、以下のポイントについて詳しく調べてみました。

 

調査内容

  • 「 原哲夫 」プロフィール
  • 「 原哲夫 」失明
  • 「 原哲夫  」手術をしなかった理由
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原哲夫 プロフィール

原哲夫 さんのプロフィールは以下の通りです。

顔写真
原哲夫(漫画家)-年収_1
タレント名原哲夫
生年月日1961年9月2日
出身東京都 渋谷区
職業漫画家
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プロフィールトピック

原 哲夫は、日本の漫画家。1961年9月2日、東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。既婚。

 

1982年に週刊少年ジャンプ(集英社)にて「鉄のドンキホーテ」で連載デビュー。1983年、同誌にて原作に武論尊を迎え「北斗の拳」を連載開始、大ブレイクを果たした。「北斗の拳」は、1984年と1987年、2003年にアニメ化、1986年、2006年から2008年にかけて6度もの映画化、1986年より幾たびもゲーム化され、1988年に連載が終了した後も多メディア展開がなされている。1990年には隆 慶一郎の小説をもとに「花の慶次-雲のかなたに-」を連載、ヒット作となる。2001年には週刊コミックバンチ(新潮社)にて「北斗の拳」の外伝にあたる「蒼天の拳」を連載開始。同作も2006年にアニメ化されている。

「 原哲夫 」失明したの?

【写真】イベントに出演する原哲夫 さん@2020年代

レオン
レオン
目に大きな問題(ほぼ失明状態)でした。

 

原哲夫先生は長年、右目の視力に深刻な問題を抱えていました。

 

完全に失明はしていませんが、ほぼ失明状態に近い状態でした。

 

病名は?円錐角膜

【写真】円錐角膜治療@丸山眼科クリニック

病名は、円錐角膜(角膜が薄く円錐状に突出する病気)です。

 

円錐角膜は、眼の表面にある角膜(黒目部分の透明なレンズのような組織)が、薄くなって前方に円錐状に突出してしまう眼疾患です。

 

進行性の病気で、角膜が徐々に薄くなり、突出が強まることで、視力低下が深刻化します。
 
 
最終的にはほぼ失明レベルまで進み、角膜移植が必要となるそうです。

 

 

いつから?『北斗の拳』週刊連載時から

代表作である『北斗の拳』連載当時(1980年代)から、すでに目に症状がありました。

 

その後は、右目がほぼ失明状態(視力0.03程度)で、左右で大きな視力差がありました。

 

そのため、右目を閉じて左目だけで描き続けていたと言われています。

 

2000年代頃の映像は残っていましたが、この頃は、確認できませんでした。

 

取材中は、両目で書いていたようです。

 

 

2020年代初頭の取材では、片目を閉じて書いていると語っています。

 

2023年に手術成功で視力回復

【写真】NHK BSプレミアム「美の壺」に原哲夫が出演@2022年

2023年に角膜移植手術を受け、手術は成功しました。

 

右目の視力が0.03から0.3程度に回復し、10倍近く見えるようになったと本人が語っています。

 

ちなみに原先生は現在も第一線で活躍中で、月刊コミックゼノンで歴史劇画『前田慶次 かぶき旅』を執筆中で、引き続き漫画を描いています。
 
 
 
手術の成功で両目で描けるようになり、作画環境が大幅に向上したそうです。
 
 
本人曰く「根性で描いていた」時代から解放され、クオリティ維持がより安定しているそうです。
 

「 原哲夫 」なぜすぐに手術しなかったの?

【写真】少年ジャンプ連載時代の原哲夫 さん@1980年代

レオン
レオン
仕事を優先したため、手術が遅れました。

原先生の手術が遅れた理由は、2つあります。

 

当時の手術は高リスクで時間がかかったことと、人気作品ゆえに休止できないことです。

 

連載を持つ人気漫画家にとって、長期間を空白(休止)にするには、勇気がいるでしょう。

 

1. 当時の手術は高リスクで時間がかかった為

1つ目は、当時は、手術のリスクが高かったことです。

 

円錐角膜の角膜移植手術は、連載時(80年代)からありました。

 

当時はまれな病気(現在ではグレーゾーンも含めて、500~2000人に一人いる)で手術の実績も多くありませんでした。

 
全層移植の場合、拒絶反応のリスクが高く、回復に数ヶ月〜1年かかる上、視力回復が安定しないケースも多かった時代です。
 
片目は見えていたため、医療技術の進歩を待っていた可能性があります。
 

2.人気作品ゆえに休止できない環境の為

2つ目は、休載が許されない超プレッシャー環境の為です。

 

『北斗の拳』は、週刊少年ジャンプの看板作品で、ライバルの多い同誌においても人気を確立している段階でした。

 

原先生も、手術で入院・回復期間を取ることを避け続け、「根性で漫画を描き続ける」ことを美徳としていました。

 

また同作は、原作の武論尊先生と共同執筆の作品です。

 

2人の作品ゆえにより使命感をより感じさせ、手術を後回しにする選択をした可能性が高いです。

その後は、医療技術の進歩で手術を決意

『北斗の拳』の連載は終わりますが、その後も手術を避け続けた理由は不明です。

 

片目で書くことになれてしまい、「描けるうちは手術を先送り、先送り」と引き延ばしていた可能性もあります。

 

インタビューから「我慢の限界が2023年に来た」という印象もあります。

 

実際に、2023年に手術を受けた際は、部分層移植(DMEKやDALKなど最新手法)を選択しました。

 

手術の成功率が高く、回復が早い最新の手法です。
 
 
「今なら大丈夫」と判断して、手術を決意した可能性が高いです。
 
結果は成功して、短期間で漫画家のお仕事に復帰しています。

 

まとめ

原哲夫 失明 に関して、

Newsサイト、SNS、独自のデータベースなどを活用して徹底調査しました。  

 
調査結果

  • 原哲夫は右目が円錐角膜を長年患っており失明寸前に
  • 『北斗の拳』連載当時から症状はあり、片目で漫画を描き続ける
  • すぐに手術しなかった理由は、週刊連載を休めない仕事優先の判断
  • 当時の角膜移植は高リスクで、回復に長期間を要した点も影響
  • 2023年に最新医療で手術が成功し、右目の視力は大きく回復

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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Posted by lifelog