「 福知山線 脱線事故 」車掌松下の事故当時から現在まで【2024年】
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今回の調査対象は 「 福知山線 脱線事故 車掌 」 に関してです。
Newsサイト、SNS、独自のデータベースなどを活用して徹底調査しました。
「 福知山線脱線事故 」に関して
死者が107名、負傷者が562名、JRの単独事故としては過去最大規模です。
そういった背景もあってか、15年以上経過した2020年代に入っても、毎年報道されます。
事故当日運航していたJR西日本の乗務員は、高見運転手と今回の記事でテーマにあげる松下車掌です。
メモ
- 高見隆二郎 運転手(当時32歳。事故で死亡)
- 松下正俊 車掌(当時42歳)★今回記事に書く人物
松下正俊車掌の対応が事故の原因?
(写真)事故現場の状況図
福知山線脱線事故が起こった直接的な原因は、電車遅延に対する運転手の過度なプレッシャーです。
当時の福知山線では、乗客からのクレーム、社内での懲罰を恐れ、速度制限を無視した運転操作が横行していたそうです。
事故当日も電車に遅延が生じて、速度制限を無視した危険な運転が行われていました。
松下正俊車掌(当時42歳)はベテランでしたが(事故を起こした後輩)高見隆二郎運転手(当時32歳)に、前駅の伊丹駅でのオーバーランを過少報告するよう求められ、それを承諾しています。
松下車掌が社内電話でそうしたやりとりをしている最中、乗客から列車の遅れに対するクレームを受け、高見隆二郎運転手との通話を中断しました。
松本車掌のその行動により、高見運転手としては、社内への報告内容が気になったのでしょう。
車掌の報告内容次第では、自分が運転手の立場を追われるかもしれないので、焦りとともに、盗み聴きに必死になっていたと考えられます。
本来スピードを落とすべき曲線区間に差し掛かった頃には時すでにおそし。70キロ制限の区間を110キロオーバーで走行し、重大な脱線事故を起こしたのではないかといわれています。
松下車掌 事故後に適応障害と診断
脱線事故が起きた背景には、複数の要因(運転士の経験不足、車掌の対応、会社の安全対策の不備、過密ダイヤ、乗客の過大なクレーム)があり、必ずしも車掌の対応の不備だけが問題ではありません。
しかし結果的に、松下正俊車掌は生き残り、高見隆二郎運転手を含む多くの乗客が犠牲となりました。
そのため松下車掌に対して、一部人々から疑惑や批判が沸き起こりました。その影響もあってか(松下車掌は)事故後に適応障害の診断を受けたと、自身の手記を残しています。
松下車掌 JR西日本で復職を求めるも敗訴
その後は車掌職から離れていた松下(元)車掌ですが、適応障害が寛解した2007年頃に現場(車掌職)へ復帰を希望します。しかし、JR西日本は車掌職への復帰を認めることはありませんでした。
そこで3年後の2010年(当時47歳)に地位確認訴訟を起こしています。裁判は、大阪地裁で請求棄却。
実際に裁判で争われることは叶わず、事実上の敗訴(JR西日本の勝利)となりました。
松下さんは裁判中は、JR西日本を休職扱いとなっていたので、その後の去就が騒がれました。
調べてみると、裁判を棄却後にJR西日本に復職しているようです。
車掌職への復帰は実現していませんので、裁判前に提示された条件で仕事(事務職)を続けているか、車掌職以外の鉄道業務を担当していると予想できます。詳細情報は不明です。
★尼崎JR脱線事故車掌への復職認めず
尼崎JR脱線事故の電車に車掌として乗務していた松下正俊さん(47=休職中)が、
復帰後に事務職に就くよう提示されたのは不当だとして、JR西日本に車掌としての
地位確認などを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(中村哲裁判長)は22日、訴えを却下した。
損害賠償の請求も棄却した。原告側は、体調が車掌業務をできるまで回復したことを挙げ
「会社の重過失による事故で休養を強いられたのに、理由もなく復帰を拒まれている」と主張。JR西側は、事故時に松下さんがパニックに陥っていたと指摘。
「車掌業務の能力に欠ける」と反論した。訴状によると、松下さんは事故後、体調を崩して入院し適応障害と診断された。
2007年には「回復しつつある」との診断書をJR西に出したが、
同社は「客に安心してもらう必要がある」として、駅での事務職を提示した。(共同通信)
松下車掌 現在は何している?
事件から20年近く経過した現在、松下正俊(元)車掌は、60歳(2024年5月現在)です。
JR西日本は、満60歳で定年のため、順当であれば、2023年7月30日で定年です。
JR日本では、60歳の定年を迎えた社員の再雇用制度を拡充しています。助役や係長など「指導層」と呼ぶポジションで再雇用するようです。松下正俊(元)車掌がこの制度に応募したかは、不明です。
松下元車掌に関する続報報道がないことを考えると、当人は定年で引退。現在はリタイア生活を送っていると考えられます。
■ JR西日本の定年年齢に関して
当社においては、現行、定年を「60 歳」としておりますが、平成 21 年度より、定年を「60 歳に 達する日の属する年度の翌年度の7月末日」に統一することとします。(JR西日本)
記事のまとめ
「 福知山線脱線事故 車掌 」に関してまとめました。
調査結果
- 福知山線脱線事故は2005年に兵庫県尼崎市で発生したJR最大の事故。
- 事故当日の乗務員は運転手の高見隆二郎(事故で死亡)と車掌の松下正俊(生存)。
- 松下車掌の運転手への対応は、事故の一因とされた。
- 生存した松下車掌は事故後批判を受け、適応障害と診断された。
- 2007年に車掌職への復帰を希望したがJR西日本に認められず、2010年に復職を求める訴訟を起こしたが大阪地裁で敗訴した。
- 松下車掌はその後事務職に従事している可能性が高く、2023年にJR西日本の定年を迎えたと推定されるが再雇用制度を利用したかは不明。
「 福知山線 車掌 」に関するみんなの声
最後にSNS等で集めたみんなの意見を紹介します。最後までご覧いただき、ありがとうございました。
返信先:@kutushitaneko7常守さん、こんにちは。 大阪に住んでいた頃、福知山線や山陰線にはDD51が牽引する鈍行の客車列車がまだ走っていました。 ときどき気が向いたら乗っていました。車掌さんと運転士さんが無線機で通信して連絡を取り合っている姿が思い出されます。
返信先:@jijicom安全上、非常に大切、19年前の福知山線の脱線事故でも、事故直前、事故車両でダイヤの遅れで車掌にクレーム入れた客が居て、車掌が車両速度の異常に気付くことを阻害していたという報告があったと思う。
福知山線事故も、乗客が車掌に執拗に絡んだことが1つの要因と聞く。 それから19年。 こういうルールが策定されて、社会に受け入れられるようになった。 大変に意義深い。 jreast.co.jp/company/custom…
【事故から19年】「4月25日はやっぱり特別な日」 遺族がJR福知山線脱線事故で遺された“記憶”を繋ぐ一方、JR職員への研修には課題(ABCニュース) news.yahoo.co.jp/articles/f8e68… 再発防止はもちろんやけど、JR西の駅員さんや車掌さんが言葉の暴力を受けないことを切に願う。 #福知山線脱線事故から19年
返信先:@justis89841365僕の地元で、学生時代は競合する阪急使ってたのでよく知ってますが、尼崎〜宝塚は過密ダイヤなんです。しかも複線で。 神戸線(山陽本線)は複々線なので充分列車をさばけるのに、福知山線は時刻表見たらエグいですよ。 運転手と車掌のやり取りも公開されてますから茶番と言えるかどうか…
◾️JR福知山線脱線事故から19年 私がJR北海道に入社した年にこの事故が発生。当時は車掌の配属が決まり研修センターで車掌研修を受けていた。車掌に就くことを怖く感じた。そして安全は輸送業務の最大の使命であると強く感じた。 www3.nhk.or.jp/news/html/2024… #安全綱領
福知山線脱線事故の当時の通話記録。車掌はパニックで何も説明できてないし、指令員も状況の深刻さを把握できてない。後続の運転手が来てようやくわかった感じ pic.twitter.com/KQMmfOeXAN
「福知山線脱線事故・通信記録※閲覧注意」 ⇒ amba.to/29xMK48 脱線直後の車掌と指令との会話内容が克明に記録されている。初め、車掌は単に急停車しただけかと思っており指令も事故の深刻さに気付いていないが、徐々に明らかになる会話。いつか音声公開されへんか
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