「威風堂々の歌 」の元ネタは「 愛馬とともに 」パクリなの?池田先生が作ったの?

「 威風堂々の歌 」
とネットで調べると、
「 愛馬とともに 威風堂々の歌 」と関連ワードに表示され、検索する方が多いようです。

そこで今回は、以下のポイントについて詳しく調べてみました。
調査内容
- 「 愛馬とともに 」「 威風堂々の歌 」どんな曲?
- 「威風堂々の歌」元ネタは?パクリなの?
- 「威風堂々の歌」池田大作先生との関係
「 愛馬とともに 」「 威風堂々の歌 」どんな曲?

どちらも勇ましく力強い行進曲調のメロディーを持つ曲ですが、時代背景と内容が大きく異なります。
「愛馬とともに」は戦時中の軍歌
- 作曲:佐々木俊一
- 歌唱:楠木繁夫(主に)
- 発表年:昭和16年(1941年)3月
- ジャンル:日本軍歌(戦時歌謡)
「愛馬とともに」は、日中戦争・太平洋戦争期の軍馬(愛馬)と兵士の絆を歌った曲です。
戦場での苦楽を共にし、馬を家族のように大切に思う兵士の心情を描きます。
馬の嘶きや手綱を握る描写が印象的で、哀愁と勇壮さが混在したメロディーです。
「威風堂々の歌」は創価学会歌
- 作詞:大橋幸栄(京都の創価学会員)
- 作曲:不詳(公式表記)
- 発表年:昭和30年(1955年)3月
- ジャンル:創価学会の代表的な学会歌(愛唱歌)
「威風堂々の歌」は、広宣流布(布教活動)への決意と気迫を歌った曲です。
濁悪の世を威風堂々と進む学会の確信を表現し、折伏(積極的な布教)や正法(正しい教え)を掲げて邪法を砕く、という力強いメッセージが曲となっています。
「威風堂々の歌」元ネタは?パクリなの?
【写真】愛馬とともに 威風堂々の歌さん@年

「威風堂々の歌」の元ネタは、日本軍歌「愛馬とともに」です。
創価学会公式が、そう発言しているわけではありません。
しかし、世間では、ほぼ元ネタ(歌詞の付け替え歌)と断定していいレベルで、認識されています。
メロディーが、ほぼ一致しているためです。
元ネタ「愛馬とともに」とメロディーが一致している
「愛馬とともに」「威風堂々の歌」は、両曲のメロディーがほぼ完全に一致しています。
「愛馬とともに」の方が約15年早く公開されているため、「威風堂々の歌」の参考にされたのは間違いないでしょう。
パクリと話題なのはなぜ?
「威風堂々の歌」は、「軍歌のパクリ」との声が多くあります。
YouTubeやニコニコ動画、Yahoo!知恵袋、pixiv百科、SNSなどで多くで比較動画が確認できます。
創価学会公式は、作曲を「不詳」とし、京都の学会員が独自に作ったと説明しています。
公式が元ネタをいわず・曖昧な回答をしている点も、パクリだと大きく話題にされやすい点です。
著作権的には大丈夫なの?
当時は著作権意識が緩く、軍歌メロディーの流用は一般的で珍しくなかった時代背景もあります。
「威風堂々の歌」池田大作先生との関係

【写真】「威風堂々の歌」で指揮を披露する池田先生 @1990年代

池田大作先生と、「威風堂々の歌」の関係を調べました。
池田先生が作った曲との誤解もあるようですが、正しくは広めた人物です。
曲を作ったのは、大橋幸栄さん
【写真】「威風堂々の歌」の歌詞
「威風堂々の歌」は、1955年(昭和30年)3月に京都地区で誕生した学会歌です。
曲を作ったのは、京都学会員の大橋幸栄さん(作詞のみ。作曲は不詳と公表)です。
ただし、池田先生は作詞者の了解を得て、歌詞の一部を自ら手直ししました。
具体例には曲・3番の「平安の洛土見ん」を「日本の楽土見ん」に変更しています。
京都の歌から、全国への歌への変更を行ったようです。
その点で、この曲は池田大作先生も作った曲との拡大表現もできるでしょう。
曲を広めたのが、池田大作先生
池田部長が1958年に京都を訪れた際にこの歌を聞き、「これはいい歌だ。これからは皆で歌おう」と強く提案しました。
※ 1958年頃は、関西を訪れた青年部の池田室長と記載があり、役職は部長でした。
これにより、京都の地区歌・支部歌から、全国規模の代表的な学会歌(愛唱歌)へと広がっていったそうです。
公式の聖教新聞や学会の楽曲ページでも、「池田先生の提案を経て、全国津々浦々で歌われるようになった」と明記されています。
その後は、創価学会の象徴的な曲に
これを「池田大作の扇子踊り」や「大作の舞」と呼ぶ人もいますが、学会内では「指揮者」と解釈されていたそうです。
自ら指揮して象徴的に歌い継がせたことで、創価学会の「代表曲」になりました。
まとめ
「 愛馬とともに 威風堂々の歌 」に関して、
Newsサイト、SNS、独自のデータベースなどを活用して徹底調査しました。
「愛馬とともに」元ネタは軍歌「愛馬とともに」!メロディーは音程・リズムまでほぼ完全一致
「威風堂々の歌」は1955年誕生の創価学会歌で「愛馬とともに」1941年誕生よりも後に作曲
公式は作曲を不詳に。元ネタ非公表な点が「パクリ」と話題になる理由の一つ
池田大作先生は作曲者ではなく、歌詞修正と全国普及を担い象徴的存在となった人物
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。









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